会津旅行4 二日目(2009.10.25)

今回の会津旅行は、ずっと曇り空。
陽射しが強いのも疲れるけど、寒いのもちょっと体が強ばる感じで、シンドイです。
なので、とても快適な旅行日和(*^^*)
紅葉には、ほんの少し早かったけれど、各地で色づいていて、秋を感じました。

まず駅のコインロッカーに荷物を入れてから出発です。

こんなのあった(*^^*)
Aidu
町を歩いていたら見付けました。可愛い(*^^*)

ゆっくり歩いたことのなかった「大町通り(町方蔵しっく通りという愛称らしい)」を七日町方面へ。途中、「会津町方伝承館」で買い物をしたりしながらゆっくり散策。
七日町通りに突き当たったところで右に折れて少し行くと、「レオ氏郷南蛮館」があります。
ここの資料館は小さいながらも見応えがあります。
キリシタン大名だった蒲生氏郷(洗礼名:レオ)は、織田信長に才を見出され、信長の娘「冬姫」と結婚しました。信長死後、豊臣秀吉に仕え、数々の武勲を上げ会津の地を拝領しました。町の名を「若松」とし、鶴ヶ城を建築しました。お城の名は、氏郷の幼名「鶴千代」にちなんでいるそうです。茶の湯や和歌にも秀でていたそうで、40歳での死は無念だったと思います。

蒲生氏郷の辞世の句です。

限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風
(風など吹かなくても、花の一生には限りがあるので、いつかは散ってしまうのです。それを春の山風は何故こんなに短気に花を散らしてしまうのですか)

氏郷のお墓のある興徳寺に行きました。
Ujisato1Ujisato4  Ujisato5_2Ujisato2_2 Ujisato3
このお墓には遺髪が納められています。
京都の大徳寺黄梅院にあるお墓を発掘したところ、刀を抱いた状態で埋葬されていたことが判ったそうです。

キリシタン大名であった蒲生氏郷は、会津へも南蛮文化をもたらしました。
城下には教会(現在、天子神社となっているそう、今度行ってみたいです)が建てられ、家臣にもキリシタンが多かったそうです。
江戸時代に入ると、キリシタン弾圧が強化され、会津でもキリシタンが大勢処刑されました。処刑地へ向かう信者と家族が涙ながらに別れた場所は、現在「涙橋」と呼ばれています。処刑地には、キリシタン塚が建てられています。また各地にマリア観音が現存するそうです。
Kirisitan1 Kirisitan2

大分疲れてきたので、少しお茶をすることにしました。
中央通りにあるコーヒーのチェーン店に入ったのですが、ふと気が付くとちょっと驚きが。
お店の中のお客さんのほとんどが、勉強中の学生さんでした。
皆、静かに真剣に勉強しています。お国柄なのでしょうか…とっても刺激されました。
私も頑張らなくちゃ!

さてそこからまた歩いてお城まで!途中「お酒の試飲」なんぞしながら(^^;)向かいました。
今回は天守閣には入らずにお庭の散歩だけでしたけど、やっぱりお城は綺麗だな~と思いました。勇壮だし、気高いし、とにかく美しい(*^^*)
Oshiro1 Oshiro2 Oshiro3
そうそう、お城にこんなもの発見↓(*^^*)
大河ドラマだ!
Oshiro4
会津は、直江兼続ゆかりの地でもあるんですよね(*^^*)

2日間だと本当にあっという間に終わってしまいますね。
もっといたかったな~会津。
会津大好きです(*^^*)

これに乗って帰ります。
Akabe
さよなら、会津、また行きますね~(^^)/

今回の自分へのお土産。
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やっぱりあかべえは可愛いなぁ~(*^^*)

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会津旅行4 料理旅館 田事

前々回の会津旅行の時に宿泊した「料理旅館 田事」に、今回も泊まりました。
Tagoto
広々した2階のお部屋、檜のお風呂、そして食べきれない程のお料理。
どれも大満足でした。
宿の方のお話も楽しく、ゆっくりすることができました(*^^*)

お夕飯
Tagoto1_3 Tagoto2 Tagoto3 Tagoto4 Tagoto5 Tagoto6 Tagoto7
食事は1階の囲炉裏端で。
このお料理の数々に、ご飯とお味噌汁が付きます。
最後の写真はお肉なのですが、その前でもうかなりお腹いっぱい(^^;)
柔らかくて、とても美味しかったのに、ついに食べ切れませんでした。残念(--;)

朝ご飯
Tagoto8 Tagoto9 Tagoto10 Tagoto11
朝は定番のめっぱ飯です。今回は3人だったので、別々なものを注文し、3種類味わえました(*^^*)
左から、おかず、山菜めっぱ、鮭めっぱ、しらすめっぱです。
前の晩に注文を聞かれるのですが、夜のうちに仕込んでおくのだそうです。
炊きたてのふかふかご飯がとても美味しく、朝のお腹に優しかったです。
食後にはコーヒーが出ました(*^^*)

それにしても、たくさん食べました(ふ~)
3人とも体の厚みが増したところで、2日目出発です!

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会津旅行4 一日目(2009.10.24)

会津への旅も4度目です。
正確に言うと5度目ですが、遠~い昔の中学生の頃で(^^;)
白虎隊記念館に誠の袖章がある理由すらわかっていませんでした。

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会津磐梯山~磐越西線の車中から~

今回は母と妹との3人旅。なのでムリせずゆっくりと街中散策をしました。
定番の鶴ヶ城天守閣(お庭は散歩しました)、飯盛山、そして天寧寺の近藤さんの墓所もパスしました(^^;)
その分、自分の足で街中をたくさん歩いたので、会津の町により親しみを持てたような気がします。

まずは今回の一番の目的、小田山へ。
まちなか周遊バス「ハイカラさん」の会津風雅堂前停留所で下車し、歩いて行きました。
いざ登り始めようとした時、「クマに注意!」という注意書き発見!
どうやら、今年7月に小熊が目撃されたようなのです。
3人で散々躊躇したあげく、「でもっでもっ7月以来出てないワケだし、大きなニュースにもなってなかったし…」ということで、勇気を出して進むことに(^^;)
山登りする時には鈴鳴らすよね…となり、携帯の着メロを鳴らしながら(^^;)歩きました。
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小田山の登り口案内板
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西軍砲陣跡

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砲陣跡から見た鶴ヶ城です。約1,600M。
ここからお城に向かって、ひっきりなしに砲弾が撃ち込まれました(T_T)
当時の砲弾は、落下してから爆発するまでにほんの少し間があったそうで、城内の婦女子は、落ちてきた砲弾に濡らした布団等を被せて爆発を止めていたそうなのですが、タイミングもあり、布団もろとも吹き飛ばされて亡くなった方が大勢いたそうです。

本当はゆっくりと余韻に浸りたいところだったのですが、何せクマの恐怖があって(^^;)そそくさと降りてきてしまいました。できれば山頂まで登り、小田山城址や田中玄宰墓等にも行きたかったのですが、残念です。

さて次は善龍寺へ、少し遠回りながら表の道をてくてくと…(^^;)
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善龍寺山門
           
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西郷頼母の墓

西郷頼母さんは、先見の明があった方だと思うのですが、時局の流れには逆らえなかったのですね。
もし藩祖保科正之の「会津藩家訓十五か条」第一条、

「大君の儀、一心大切に忠勤を存ずべく、列国(諸藩)の例を以て自ら処(お)るべからず。若し二心を懐かば、即ちわが子孫にあらず。面々決して従うべからず。」
(会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、藩主が裏切るようなことがあれば家臣は従ってはならない)

に逆らって、松平容保様が京都守護職拝命を拒否していたら…
あっ、そうしたら家臣が付いて来ませんね…歴史に「もし」はないのでした(T_T)

同じ善龍寺境内にあるなよたけの碑へ
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碑名は西郷頼母の妻千重子の辞世の歌
「なよ竹の風にまかする身ながらもたわまぬ節はありとこそ聞け」
から取ったものだそうです。
か弱い婦女子の心をたわまぬ竹の節になぞらえながら、会津婦女子の精神の強さをうたっています。碑には、戊辰戦争で散った233名の婦女子の名が刻まれているのですが、名が判っている…というだけで、実際はもっと多くの婦女子が命を落としました。
西郷家は、頼母の母律子、妻千恵子など家族9人と一族12人が戦いの足手纏いとならないようお城近くの自邸で自刃し果てました。

ここまで来て、お腹がすいていることに気が付き(^^;)
途中で見かけたうどんのチェーン店に入りました。ちょっとゆっくり(*^^*)

お腹も満足したところで、会津風雅堂からまたバスに乗り、飯盛山近くまで行きました。
次の目的地は、妙国寺です。ここは飯盛山で自刃した白虎隊士が仮埋葬された所です。
Myokokuji3 Myokokuji5 Myokokuji6 Myokokuji2 Myokokuji4
白虎隊の少年達は、自刃後数ヶ月放置された後、ここに葬られました。
少し見づらいのですが、「白虎隊士之霊」の上には「殉節」と刻まれています。
当時、いわゆる西軍は幕府軍の遺体を埋葬することを禁じていました。
たくさんの遺体が町中に放置されたままでした。
新選組三番隊長斎藤一さんのお墓のある阿弥陀寺に、多くの遺体が葬られています。
Amidaji1 Amidaji2
阿弥陀寺にあるお墓です。

ここで今日の予定終了!
七日町通りに戻って、お店をいくつか見て歩き、宿泊する「料理旅館 田事」に向かいました(*^^*)

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会津旅行3 (2007.9.15~16)

このところ毎年行っている会津。
今年も行ってきました(*^^*)
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今回は初めて「大内宿」に行きました。
正味1時間くらいの滞在でしたけど、いろんなお店が出ていて、見ているだけで楽しかった~(*^^*)
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大内宿にはこのバスで行きました。
アシノマキバオー号!会津若松駅前から出ています。
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「御薬園」にも初めて行きました。
こちらは綺麗な庭園を眺めながら、お抹茶をいただきました。
秩父宮勢津子様ゆかりの地ということで、落ち着いた雰囲気の中に気品を感じる佇まいでした。

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今回は家族旅行ということで、これに乗るのも大きな目的でした。
特急「あいづ」です(*^^*)
会津若松駅から上野まで一直線です!
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車両に「あかべえ」が!
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座席にも!
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最後に今回の宿でのお食事写真を(*^^*)
美味しかったなぁ~

やっぱり会津大好き。また行きたいと思っています。

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会津旅行2 二日目(2006.9.18)

さてさて2日目です(*^^*)
宿でのふかふかゴハン「めっぱ飯」を堪能し、いざ出発です。
駅まで歩いて行き、荷物をコインロッカーへ。楽になって、今日はまず鶴ヶ城へ。少し手前でバスを降り、ちょっとだけ「会津酒造歴史館」へ立ち寄りました。歴史館そのものは入らなかったのですが、お酒をほんの少し(^^;)試飲しました。「白雪」というお酒が美味しかったな~あまりお酒が飲めない私は試飲だけで満足でしたが…(^◇^;)
Kyuketusen 歴史館からすぐのところに、「会津戊辰戦争終結の地」の案内板がありました。この絵に描かれている緋毛氈を、会津藩士たちは忘れることのできない屈辱の証として持ち帰ったのですね…この刻まれた「泣血氈」と呼ばれる毛氈の切れ端が、飯盛山のふもとにある「白虎隊伝承史学館」に展示されています。本物を目にしても、藩士たちの思いがあまりにも重すぎるからか、実感があまり湧きませんでした…。
終結の地からお城へと向かう道筋に「西郷頼母邸跡」があります。
Saigo Saigo2 当時会津藩家老だった西郷頼母の一族21人が自刃したお屋敷の跡です。こんなにお城に近いお屋敷にいながら、籠城を告げる早鐘が鳴り響く中、お城に入らずに命を絶ってしまったのですね。その時の悲劇のエピソードが、「会津武家屋敷」に再現されています。現代では考えられないこのような悲劇が、当時の会津では決して珍しいことではなく、当たり前のように起こっています。それが今からたった140年前の出来事だなんて信じられない思いです。
Oshiro2 Oshiroお城から「干飯櫓(ほしいやぐら)」を眺めた風景です。良くないはずだった天気ですが、とても気持ちが良い快晴だったのがわかっていただけると思います(*^^*)


Oshiro1Oshiro4 現在と取り壊し前の鶴ヶ城です。この写真を見ると、新政府軍の砲撃がいかに激しかったのかがわかります。崩れ落ちなかったのが不思議なくらいです…

BukeyashikiBukeyashiki2_1 お城をあとにして、「会津武家屋敷」に向かいました。ここは西郷頼母邸を再現したところです。広いお屋敷です(^^;)結構見応えがあります。ここは2004年大河ドラマ「新選組!」のロケも行われたそうで、お屋敷の一室に、松平容保役の筒井道隆さんのサインが飾ってありました(*^^*)

時間も残り少なくなってきました。発車間際の「はいからさん」に飛び乗り、飯盛山に行きました。今回も「動く歩道」(^^;)には乗らず、ひたすら自分の足で登りました。(結構キツイです)
Iimoriyama Iimoriyama2 容保公はどんな思いで、この歌を詠んだのでしょうか…胸が痛くなります。






Iimoriyama6 Iimoriyama7白虎隊の少年達が通り抜けた洞穴です。こんな狭いところを…これでも今は整備されているそうなので、かつてはと思うと…しかも怪我をしている少年もいたのですから、苦しかったでしょうね…
Iimoriyama5自刃の地から見た鶴ヶ城です。すごく小さいです。クタクタになってこの地に辿り着いた白虎隊の少年達が見たものは、こんなに小さく見えるお城と城下を焼き尽くす炎でした。疲れ切った少年の目には、お城が炎上しているように見えて当然のような気がします。

Sakai 飯盛山へ登る階段の途中にある「白虎隊記念館」。そのかたわらにこの銅像があります。これは白虎隊の酒井峰治の像です。彼は飯盛山で自刃した白虎士中二番隊の一員だったのですが、皆とはぐれ、山中を彷徨い死を覚悟したところで、愛犬のクマに奇跡的に出会い、生きる決心をし、お城で籠城の末、終戦を迎えたそうです。
来年(2007年1月)に放送されるテレビ朝日「白虎隊」の主人公です。
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Honjin「白虎隊記念館」をゆっくり見た後、「滝沢本陣」へ。前回は時間のこともあってあまりゆっくり見られなかったのですが、今回は中で流れている説明もじっくり聞きました。あまり大きくない建物なのですが、あちらこちらに銃弾跡が残っていて、戦いの激しさがわかります。





Aizu今回もとっても楽しい旅でした。お天気に恵まれたことが何よりです。いっぱい歩きました。また来年…すでに会津旅行の計画を立てています(^^;)
さよなら、会津。また来ます(*^^*)

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会津旅行2 料理旅館 田事

今回の会津旅行では、「料理旅館 田事」に泊りました。
二人なので旅館!と決めてから、東山温泉にするか…などいろいろと考えましたが、結局この「料理」に惹かれました(^^;)会津若松駅からもそれほど遠くなく歩いて行くことができました。案内されたのは、八畳で、二辺に広縁付きの広々としたお部屋。歩き疲れた足を思いっきり休めることができました(*^^*)
お食事は2食共、大きな囲炉裏端でした。ここに三々五々宿泊客が集まり、ゆっくりと食事をします。掘り炬燵のように、足を下ろすことがことができて、とても楽でした。

お夕飯
Tagoto1 Tagoto2 Tagato3 Tagoto4



これだけの量のお料理にご飯とお味噌汁、それにデザートのいちじくの砂糖漬けが出ました。鮎の塩焼きは、目の前の囲炉裏で今まさに焼いてくださったもの。馬肉のお刺身は、普段あまり食す機会がないので、珍しかったです。お腹いっぱいになりました(*^^*)

朝ご飯
Tagato5 Tagato6 Tagato7



朝食は「めっぱ飯」。会津では、「わっぱ」とは言わず「めっぱ」と言うそうです。熱々のご飯で、朝から大満足でした。ちなみに左は鮭のめっぱ、右はシラスのめっぱです。

従業員の方もとても気持ちの良い方達で、一泊だけでしたけど、楽しい時間を過ごすことができました。

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会津旅行2 一日目(2006.9.17)

また行ってきました、会津若松!昨年は一人だったけど、今回は二人旅(*^^*)一人だと気楽で、それはそれで楽しいのですけど、二人だと、その場での感動をすぐに語り合えて、それもとっても楽しい(*^^*)

SaisenHome  磐越西線「会津若松」駅に到着。いよいよ会津の旅、始まりです。


Akabe 駅には会津のイメージキャラクター(?)「あかべえ」がいました。
昨年はいたかな~?覚えがないです…(^^;)



取り敢えず宿に向かいました。今回の宿泊は「料理旅館 田事」。
一人だと、ビジネスホテルになってしまうことが多いのですけど、今回は二人なので(*^^*)旅館にしました。荷物を預かっていただいて、いざ!出発っ!
Saitosan_1 七日町までてくてく歩いて、まずは阿弥陀寺にある「斉藤一」さんのお墓参り。「獅子の棲む国」(秋山香乃著)を読んで以来、身近に感じてしまう「藤田五郎」こと斉藤さん。この会津の地で静かに眠っています。
              OsankaiAmidaji1                                     この阿弥陀寺には「御三階」という建物があります。これはかつて鶴ヶ城にありまし た。外見は三階だけれど、中は四階になっているそうです。秘密の部屋ですね(^^;)国を、城を守るためには、このような秘密の場所で話し合わなければならないことが、何度もあったのでしょうね。

Nyoraido Nyoraido1さて…ここからは、昨年も四苦八苦した「如来堂」への徒歩での道のりです。あ~今回もかなりしんどかったです。他の方のブログで、歩いて行ける所ではないとの記事を読んでいたのに、まったく懲りない私です。途中「中野竹子奮戦の地」に立ち寄りながら、ひたすら歩きました。
この道の一番奥、遙か彼方の小さくこんもりした森のような所が「如来堂」所在地です。撮影場所は大通りを曲がっNyoraido3_1たところで、ここに着くまでにもう約2kmほど(七日町から)歩いているのです。歩けないことはないけれど、本当に遠いです(^^;)昨年の写真と比べると、緑が濃いです。会津新選組がここで壊滅したのは旧暦九月四日でしたから、実際は昨年くらいのちょっと紅葉した季節だったのですね(T_T)
とても疲れて、帰りは途中の「黒川」からバスに乗りました。そうしたら、七日町まであっという間で(当たり前(^^;))とっても楽でした~

Katamorikou  Katamorikou1この土日は、お天気模様がちょっと怪しかったので、一日目になるべく外の史跡に行ってしまおうということになり、次は、松平容保公の御廟所に行くことにしました。

ここは本当に登るのがキツイです。山道にちょっと石段を付けてみた…といった感じですし、一体どこまで続くのか…と途中で思ってしまうくらい長いです(^^;)
参道の途中にあるこの看板。昨年はなかったと思うのですけど…まだ真新しいですよね。訪れる人が増えたのでしょうか…昨年訪れた時は誰もいなくて、雨も降ってきて、ちょっと恐い感じの場所だったのですけれど、今回は一人ではなかったですし、他の観光の方もたくさんいらして…しんみりした雰囲気はまったくなかったですけど(^^;)、恐くはなかったです。今回は容保公の墓所よりさらに奥の松平家墓所まで行きましたが、平成に入ってから亡くなった方の墓碑もあり、この場所が今も松平家の方々の安らぎの場所なのだと、とても心に残りました。

さて、容保公や松平家の方々に別れを告げ、次は近藤さんのお墓に向かいます。御廟所から天寧寺までは近いので、歩いて行きました。ここもかなり登るのがしんどいのですけど、御廟所よりは楽勝です(^^;)  Kayanogonbei_1  Kayano3 Kayano
Kayano1Kayano2Nagamasa







今回は前回諦めた萱野権兵衛さんの墓所に行くことができました。「萱野権兵衛」さんの墓標がたくさんあって、この名前は世襲なんだな…と思いました。しかし、幕末の萱野さんの墓標には名前が刻まれていなくて(もしかしたら裏面にあったのかも)探すのが大変でしたけれど、亡くなった日付で判りました。会津藩のために身を捧げた方なのに、墓碑はとってもひっそりとしていて…一応罪を背負ったことになっているからなのか…と、悲しく淋しい気持ちになりました。萱野さんの御子息「郡長正」さんの墓標も近くにありました。最初変な思い込みがあって、ちょっと探すのに時間がかかってしまったのですけど、たまたま登っていらした地元の方にお聞きして自分の思い込みに気が付きました。どんな思い込みかは、あまりに恥ずかしくてちょっと書けません(^^;)Kondosan

Kondosan1_2 萱野父子の墓所からさらに登り、近藤さんの墓所へ。私達の前にも後にもお参りの方がいらして、落ち着いて佇むことができなかったのですけど、やはりここには近藤さんの魂が宿っているような…そんな気持ちがしました。盟友土方さんと並び立っている姿。近藤さんの隣に寄り添うように立っている土方さん。それがやはり一番自然な気がするのです。近藤さんを失った後の土方さんは、本来の姿を取り戻したように優しくなっていくのですが、実はとってもとっても淋しかったのでは…と、ここに立つと思わずにはいられません。

写真右は近藤勇さん辞世の碑です。

孤軍援絶作囚俘 顧念君恩涙更流一片丹衷能殉節 雎陽千古是吾儔靡他今日復何言 取義捨生吾所尊快受電光三尺剣 只将一死報君恩


孤軍たすけ絶えて俘囚となる。顧みて君恩を思えば涙さらに流る。一片の丹衷よく節に殉ず。雎陽千古これ吾がともがしら。他になびき今日また何をか言わん。義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所。快く受けん電光三尺の剣。只まさに一死をもって君恩に報いん。


さあ、今日はもう夕方になってしまいました。今日の宿「料理旅館 田事」に向かいました(*^^*)

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会津旅行 二日目(2005.10.30)

会津一人旅、二日目です。
この日もお天気があまり良くなかたったので、レンタサイクルは諦め、ハイカラさん利用にしました。このバスは30分間隔で運行しています。昨日は行きたい方向の反対車線のバス停に立っていて、バスが通り過ぎてしまうというハプニング(というかドジ(^^;))を2回もしてしまったのですが、そういうことを気を付ければ、とても便利でした。
会津若松駅前8時が始発なのですが、8時半発に乗り、まず「院内」へ。ここには「松平家墓所」がありますkatamorikou3。第二代正経公から、第九代容保公までの墓所です。
   ここはバス停から少し入った所から参道が始まるのですが、ちょっとしたkatamorikou1山道といった感じで、かなりきつかったです。一応階段のようになっているのですけど、一段一段katamorikou2が高くて、しかも時々崩れていたりして…一番奥の方にある松平容保公のお墓に辿り着いた時は、足がガクガクしていました。容保公は神道で葬られているのですが、その戒名(というのでしょうか…)を知 った時、胸がきゅっとして思わず泣いてしまいました。「忠誠霊神」…容保公の生涯は、この名に凝縮されているのではないでしょうか。katamorikou4
容保公の墓所の前にじっと立っていたら雨が降ってきて、慌てて降りてきました。他に誰もいなかったので、薄曇りの中、山の中の広い墓所にいるのが、ちょっと恐くなってしまったのです。それぐらい静謐な墓域でした。
松平家墓所からほど近いところに「会津武家屋敷」があります。ここは中学生の時に訪れたことがあり、とっても印象に残っていました。幕末当時の家老屋敷の様子がとても良くわかるのですが、家老の西郷頼母一族の自刃の再現は、とても胸が痛みました。当時のトイレも…(^^;)上級武士はこんな所でも健康管理されてしまうのだなと…これはちょっとイヤかも…なんて思ってしまいました。sasaki                                   武家屋敷の中には、佐々木只三郎さんのお墓がありました。彼は鳥羽伏見の戦いで亡くなりましたけど、和歌山の紀三井寺にあったお墓が近年こちらに移されたそうです。


武家屋敷を後にしバス停2つ分歩き、もう一度近藤さんのお墓に行きました。
昨日行った時よりも、山道を登るのが楽に感じられました。でも…それにしても高い場所にありますけど…。土方さんは、近藤さんを見晴らしの良い高台に休ませたかったのでしょうね…
天寧寺は「奴郎ヶ前」というバス停にあります。ここからハイカラさんに乗り、飯盛山に行きました。松平家墓所にも、近藤さんのお墓にも、人が全然いなかったのに、ここは観光客で溢れていました。やはり会津若松といえば白虎隊なのですね。
byakko2 byakko1 byakko4byakko3
  自刃の地から鶴ヶ城を見ると、遙か遠くに小さく見えました。こんなに遠くては、城下の火事を落城と見誤っても仕方がなかったのかなと思いました。それでなくても疲れ切っていた隊士達なのですから…。自刃の地はとても狭かったです。こんな狭い場所で、白虎隊士達が次々と命を絶っていったのです。切なくなりました。
ここでは「白虎隊記念館」に入りました。白虎隊や新選組の史料がたくさんあり、見応えがありました。中学生の時は、ここに新選組の「袖章」がある意味がよくわかっていませんでした。でも今回は、じっとその「袖章」を見つめてしまいました。この地に確かに新選組がいたのだという、そんな証しを見続けていたい気持ちでした。
その後、「白虎隊伝承史学館」へ行きました。たくさんの史料が展示されていて見応えがありました。秋篠宮妃紀子様が会津藩士の子孫だということを、ここで初めて知りました。
この史学館のすぐ近くに「旧滝沢本陣」がありました。
土方さんはここで容保公に拝謁し、また白虎隊もここから出陣しました。建物内には弾痕や刀痕があちこちにあり、戦いの激しさを物語っていました。
takizawa2takizawa 
帰る時間のこともあり…そしてお昼ご飯も食べずに歩き廻っていたこともあり(^^;)ここで駅に戻ることにしました。
ホテルで荷物を受け取り、昨日の夕飯と同じ「一会庵」で地鶏丼とそばぜんざいをゆっくりといただきました。

これで私の会津一人旅は終わり。充実しすぎるくらいで満足な旅でした。会津若松に触れ、そして会津若松の歴史に触れ、会津の人たちの思いをたくさん感じながら、この地を後にしました。また来年訪れる予定にしています。次回こそはレンタサイクルで自由に廻ってみたいと思っています(*^^*)
aizu

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会津旅行 一日目(2005.10.29)

昨年の函館に続き、2度目の一人旅に行ってきました。
今回は念願の会津若松。昨年も計画したのですが、いろいろな事情で行けませんでした。
やっと実現…。少しでも早く行きたいと思い新幹線を選んだ結果、9時半には会津若松の地に立っていました。まずは荷物をホテルに預けていざ出発。本当はレンタサイクルにする予定だったのですが、お天気があまり良くなくて、市内を循環しているハイカラさんというバスで廻ることにしました。最初にどこに行こうかと考え、まずは「如来堂」へ。七日町というバス停で下車し、そこからはひたすら徒歩。これはあとから考えるとちょっと無謀でした(^^;)果てしなく遠かったのです。町の中を歩いているうちはまだ良かったのですが、途中で左折し、田圃の広がる遙か彼方に目的地を見た時は、一瞬戻ろうかと思いました。でもここまで来たのだからと思い返し、とにかくひたすら歩きました。
nyoraido1  nyoraido2
かなり歩きましたが、ここは行って良かったと思いました。いわゆる「会津新選組」終焉の地です。ひっそりとしているだけに感慨深かったです。

再び七日町まで歩き続け、途中「中野竹子奮戦の地」に立ち寄りました。

nakanotakeko1 nakanotakeko2 会津戦争では、こんなに若い女性までも戦って命を落としていったのです。しかも鉄砲に対し、こんな薙刀で…。しばし竹子さんの像を見つめながら、哀しい気持ちになってしまいました。

七日町まで帰ってきたら、次はすぐ近くにある「阿弥陀寺」に行きました。ここには新選組の斎藤一さんのお墓があります。彼は会津新選組の隊長として会津戦争を戦い、敗れたのちも、会津藩と運命を共にしました。
saitosan1 saitosan2
amidaji 阿弥陀寺には会津戦争戦死者の墓もありました。ただ「戦死墓」とのみ書かれた墓石は、それゆえに多くのことを物語っていると思いました。
そこからはまた徒歩で「清水屋旅館跡」へ。ここは土方歳三さんが逗留していた宿です。今simizuya2は碑しかありません。simizuya1宇都宮戦争で傷ついた足をここで癒していたのですね…。



ここからはまたハイカラさんに乗り、一路「鶴ヶ城」へ!中学生の時に訪れて以来です。中の展示物は大分変わっていたようですが、かなり見応えがありました。今回は大河ドラマ「新選組!」の衣装・小道具展開催中で、嬉しかったです。
turugajyo1 turugajyo2
紅葉には少し早かったのですが、天守閣からの眺めも素晴らしかったです。このお城を大切にしている会津の人達の思いがずっしりと伝わってくる佇まいの素晴らしいお城だと思いました。場内にあるお茶室「麟閣」でお抹茶とお菓子をいただきしばし休憩…。そして、今回の旅の最大の目的である、天寧寺にある近藤勇さkondosan3んのお墓に向かいました。kondosan2
kondosan1  お城で時間を取ったため、ほんの少し薄暗くなってしまっていたこともあり、近藤さんのお墓の前に立った時は、感動というより、やっと会えたという感覚になってしまって…たった一人ででも思い切ってここまで来て本当に良かったと心から思いました。このお墓は、土方さんが松平容保公から戒名と墓所を戴き建てたもの。土方さんがお参りできた、唯一の近藤さんのお墓です。後に建てられた土方さんの慰霊碑と並んでいる様は、生涯の盟友と共にいる安住の地という印象でした。このお墓には、土方さんは何度もお参りしているはず…。そしてここに確かに立っていた…。体がゾクゾクしました。離れがたい気持ちでいっぱいでしたが、どんどん暗くなってきてさすがに寂しくなったので、また来ます…とご挨拶し、帰ることにしました。
お昼ごはんも満足に食べずに歩き続けた一日。夕飯はゆっくりと…会津若松駅内にある「一会庵」というお店で、「一期一会祝膳」とそば焼酎をいただきました。
iwaizen 心地よい疲れと満足感で、夜はぐっすりでした(*^^*)

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